「あの世」と交信するためのワークショップ

トータル・tao ワークショップ〈死後探索〉参加者の声

BMトレーナー協会ホームページ

◇ワークショップ参加者から寄せられたメッセージ

 トータル・道(tao)プロデュースのワークショップ〈死後探索〉に参加されたみなさんから、感想や印象など様々なメッセージをお寄せいただいています。その中からいくつかをピックアップしてみましょう。

 

レベル1を受講して(Kさん)

 昨日は、充実した癒しの空間、そして貴重な経験をありがとうございました! ちょっと集中力と自分を信じる力に欠けてしまったのが残念でした。
 YOさんがおっしゃるように、自分を信じ、自分のペースでいこうと思います。
 リラックスですね。復習できる機会がありましたら、また宜しくお願いします!

 

レベル1を受講して(Yさん)

 ヘミシンクでの見え方、今まで自分が「見える」と思っていた見え方とノンヘミでの見え方の違いや、両方取り入れる、認めること、それを受け入れることが出来たことが、心を軽くしてくれたのかなと。
 希望に心が満たされたのか、今朝、楽しい夢をみました。オーラが見えるようになって楽しくて、みんなに見える方法を教えてました!

 

レベル1を受講して(Nさん)

 情報の答え合わせをすることで、少しずつ経験を重ねることで自分の見えたものに自信が持てるようになるのだろうなぁ・・・と思っています。「サークルTAO」に入れて貰った気分です。
 みんなで、ワイワイ楽しく体験をして、自分の体験のシェアをして!!これから、とても楽しみです。

 

 

レベル1を受講して(Hさん)

中規模の信念体系クラッシュが起きているのではないかと思います。

 

 そう聞いて安心しました。くらくらした状態も徐々に消えてきていますし、外を見るとより鮮やかな世界に見える感じがします。

 

 帰宅した夜は津波で多くの人が流されていく夢を見ました。また自分の閉塞感を感じたり、連続して暗い夢を見てこれがお聞きしていた「今までと違う自分への変化」の兆しの様なものだろうとは思いました。

 

 でも今はワークショップに参加し大きな意味があったと感じる事も出来ます。
 今生で肉体がある事の愛しさを充分に感じ、喜怒哀楽も楽しみに生きていきたいと思っています。また「究極の愛」へ至る事も今生で出来るように自己統合して行きたいと感じています。これからも色々とよろしくお願い致します。

 

レベル2を受講して(Nさん)

 久しぶりに純粋に楽しい時間を過ごせました。雑談も楽しい!!!!!

 

 ガイドと 普通に話してみたいんですよね〜。難しいのかな。
 普段、普通に生活しててガイドにつっこまれたいんですよね〜。「仕組んだでしょ」「ははは」・・・みたいな。

 

 子育てがひと段落したら、自分の生きたい生き方、したいな・・・
 死後の知識があるだけで、救われる想いがあることを自分でも体験してるからね・・

 

レベル3を受講して(Nさん)

 レベル3のワークは、すごく私にとって得るものが大きかったと思っています。心のなかのずーと奥に、鍵をかけて閉じ込めて置いた辛い経験や想いを解放できて心が軽くなりました。
 大人になっても子供の時に感じたこと、受けた傷は、体が大きくなっても心が大人に成長したと思っていても、ホントにそのまま・・・。もしかしたら硬くなってしまった分、重症化してしまっているのかも知れないですね。予想以上に涙があふれてしまって自分でもどうにもできませんでしたが、とてもすっきりして、自由になったハートに新しいものを詰められそうです。現世のとらわれている側面をリトリーバルしたら、無邪気さが戻ってきました。なんだか、楽しい。純粋に色んなことが楽しいし楽しめます。

 

 自分の過去生のリトリーバルもホント良かった。
 以前ヘミシンクで体験したときも、胸の痛みや家族を残して先に逝く辛さで苦しく涙があふれたのですが、1回ではダメだったんでしょうね。今回はちゃんとリトリーバルできて自分も癒しのエネルギーを受けたので効果も大きかったのかな。

 

 今年の1月ごろから?痛み出して困っていた背中の痛み。前世で大きな槍が胸に刺さって死んでしまって貫通したであろう、背中の痛みは本当にピタッと消えてしまいました。不思議な体験です。その背中の痛みを中心に背中全体がカチカチだったのに、今はすごく楽です。

 

 こうやって色々なものをリトリーバルしたら、元気に長生きになるのかな?
 あ〜〜〜ほんと、体とこころが軽い(^o^)yo~

 

レベル3を受講して(Mさん)

 Yoさんへ
 無事帰宅しました?(*^^*)
 三日間、お世話になりました。とてもドキドキ、ワクワク、ちょっとズキズキ(^^;;する三日間でした。ありがとうございました。早速毎日の生活の中で、生かしていきたいと思います。

 

 帰りのバスで、ディスクの集合体を見に行ってみますと、黒っぽい円筒形の渦が見えて、そこから女の人が上半身をだして、私を誘ってくれました。手を取ると引き込んでくれたのですが、そこからさきに進めず、諦めて寝ました。帰りはぐっすり眠れました?(*^^*)
 こんなに眠れるなら、またyoさんのところに伺う時も、バスで行こうと思います。

 

レベル3を受講して(Tさん)

  「生まれ変わった」体験をしたことで、ずっと重かった心がとても軽くなった気がします。
  参加者の皆さんの明るさにも驚きました。レベル3までの体験がこんなに人を変えるんですね!


初めてのリトリーバル

リトリーバルをはじめ、死後探索全般について「検証こそが大事」ということを常々ブルースは言っていました。自分の信念と矛盾する経験を重ねるためにも、地道な検証作業が重要だということです。
2017年の11月に浦安市で開催したワークショップの参加者Dさんは、この忠告に従い、綿密な検証を重ね、それをレポートにして送信してくださいました。
本人の了解をいただきましたので、その全文を掲載させていただきます。

 

 

2017.11.26 初めてのリトリーバル

 

ヘルパーはパイプ(キセル)で現れたがその後特徴的な人間の姿に変わった。
場所は司令室のようなところで、そのヘルパーは丸い体型だが格式ある紳士のような雰囲気があった。
救出する人の元へ連れて行くよう頼むと、ヘルパーは帽子を被り馬に乗った。私も用意された馬に乗りヘルパーの後をついて駆け出した。

 

辿り着いた場所は西部劇に出てくるような荒野の中にある町のようだった。

 

倒れている人を見つけたが15から20メートルくらい先でよく見えない。わかったのはジープのような乗り物が横倒しになりその下敷きになっていたこと。
ジープ?…時代背景に合わないと思い、ヘルパーにもっとよく見せてとお願いしたら馬車のような気もしたが馬が居ないので(きっと崩れた家だ!…と、ここで上塗りが行われたと思う)状況が把握できず、崩れた家に下敷きにされていた。

 

もっと近くへ…遠くから男性だとはわかっていたが、やはり男性が倒れていた。生々しい血などは見えなかった。(私が見たくなかったのか?)
それほど若くもなく年老いているわけでもなく、40代?50代前半の印象だったが年は65歳だという。
名前を聞いたが、よく聴き取れない。
「B」がつく名前のようだ。
ヘルパーにも尋ねてみたが名前に執着する私にヘルパーは「もう“ベン”でいいよ」と言った。

 

何が起きたのか…「襲われた」と言っていた。
(インディアンの襲撃、とすぐにわかったが、ここも私がストーリーを作っているのではないか?と、あまりにも何かの映画の見過ぎでは?という思いが打ち消せず…)
“ギャングのような何か”に襲われてしまった、ということになった。

 

なぜ ここにいるのか?と尋ねると、先に逃がした家族が心配とのこと。

 

映像のように?私はその場で。
見えたのはもっと狭い道で暗く、トンネルのような場所や鉱山のような場所、灰色の煉瓦のような建物に鉄格子。その中に囚われている女性と子供(たぶん男の子)
これが先に逃げた妻と息子で、それが心配なのかな…?
その女性と子供はそこで働き生涯を閉じたようだ。
そこではそんな人たちが大勢いた。
その息子?はそこでの働きに上からも信頼を得て重要な仕事も任されていたようだ。

 

“ベン”の生前の趣味はコテージのような場所で揺れる椅子に座りながら本を読んだり音楽を聴いたりしてのんびりすることのようだ。
硬貨を見せてほしいと言ったが見せてもらえず(持っていなかったのか…?)、個人を特定できる証拠品を見せて欲しいと言ったがなかなか出てこない。
特徴がわからないベルトのようなものを渡された。

 

ヘルパーに導きをお願いすると、ヘルパーはまず灰色の煉瓦のような場所に連れていき、家族と思われる女性と子供の様子を見せた。スクリーンを見るように遠くから見守る感じでそこには入ることはしなかった。私はもっと後方からそれを見ていた。
“ベン”は一連の流れを少しの間見て納得したようだったのでその場を後にした。

 

その次にに連れて行った場所は、荒野でも灰色の世界でもなく、虹のかかった自然に囲まれた中にあるハイジの家のような木造の家、辿り着くと入り口が開き家族に“ベン”は迎えられた。
やっと明るい場所に出て、すがすがしい光が見えたような感じを私は遠くから見ていた。

 

ヘルパーに話を聞く。
あの男性のことを聞くと「1755」という数字。
そして「ベンジャミン」という名前、「バン ハッテン」「ジャン ハック」という名前が出てきて特定できず。
証拠となるものを見せて欲しいとお願いすると、星の勲章のような?シンボル的なものを見せられた。
そして、
何故私が今回ここに行くことになったのか?と尋ねると、ヘルパーは
「それは自分が一番良く知っているだろう」
「これから会いたいと思う人に似ている」
「あとで役に立つ」と言った。

 

ヘルパーにお礼と別れの挨拶をして私は戻った。

 

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☆検証☆

 

一番印象に残っているキーワード。
「1755」
軍事的なものなら戦闘機のナンバーか?とも思ったが、ナチュラルに考えると西暦1755年。
まず1755年に何かあったのかを調べた。

 

★リスボン大震災
★フレンチ・インディアン戦争勃発

 

この2つのどちらかに関係があると考えた。

 

「リスボン大震災」はポルトガルのリスボンを中心に津波による大きな被害があり5?6万人の死者が出ているが、見た景色などを考えるとこちらでない事はすぐにわかった。
その為「フレンチ・インディアン戦争」について調べてみることにした。

 

まず驚いたのは「ベンジャミン」という名前である。
私はこの戦争の事も、ベンジャミンの事も知らなかった。
ベンジャミンという名前は沢山出てくるが、この時代に深く関係するのは
「ベンジャミン・フランクリン」である。

 

ベンジャミン・フランクリンについて調べた。
1706-1790
84歳で亡くなっている。
元は印刷業などであったが、100ドル紙幣に顔が描かれる程の数々の偉業を成し遂げた人物で、亡くなった時は国葬であった。
「アメリカ合衆国建国の父」の一人として讃えられている。

 

さて私が救出したのは彼なのか?というところだが、調べてすぐにわかった、この人物ではないと。
何故なら、ヘルパーの顔がこのベンジャミンの肖像画にそっくりだったからだ。
私は「ベンジャミン」はヘルパーの名前であったと解釈した。

 

では私が救出したのは誰だったのか?
名前に「B」のつく人物である。
ベンジャミンもBであるが、他のバン・ハッテン、ジャン・ハックという名前はベンジャミンの名前を聴いた後では印象が薄かった上に、バンはBとも考えられるが“V”の方がしっくりくる。ジャンは“J”。

 

更に「フレンチ・インディアン戦争」について掘り下げて調べる。

 

“フレンチ・インディアン戦争は、七年戦争のうち、北アメリカを舞台に繰り広げられた一連の戦闘である。イギリス領アメリカ植民地とヌーベルフランスが主な戦場となり、いずれも、本国からの援助を得て戦闘が行われた。”

 

そもそも海外の地理にも歴史にも詳しくない私には何なのか理解するのに時間がかかった。
アメリカは元々アメリカ合衆国ではなく、植民地だらけで、これはその領土をめぐってのイギリス対フランスの戦争だったようである。
そしてこの両軍に「インディアン」が関わっていることも重要だ。

 

“1754年、テキサスの北東でイギリスとフランスの戦争が始まった。”

 

そう、ヘルパーに見せられた星は、アメリカの国旗かと思ったが、星はひとつだけである。

 

【テキサス州旗】

 

 

【テキサス州章】

 

 

この州章の星が見た形に近い。
西部劇のような景色もテキサスというのはしっくりくるため、私が救出に向かった場所はベンジャミンの件も含めて考えると北アメリカ方面であると解釈した。

 

そしてベンジャミンとこの戦争についても深い関わりがあった。

 

“ベンジャミン・フランクリンはイギリス軍のための軍需品調達に奔走”

 

とある。
道理でヘルパー(私はベンジャミンであったと考えている)と移動する時に当たり前のように馬が用意されていたわけだ。

 

さて私が救出した人物は誰だったのか?
1755年に亡くなった人物を調べてみると…

 

「エドワード・ブラドック」
北米方面軍の最高司令官。まさにこの戦争で亡くなっている。
名前のつづりは「Edward Braddock」
“B”に間違いない。
“ブラドック将軍”、“ブラドック”と書かれている記事が多い。

 

亡くなった時の年齢は60歳とされているが、生まれ年が1695年というのが定かではないため、私が聴いた65歳というのもおおよそ違いはないと思える。

 

「モノンガヘラの戦い」でブラドックは強力な部隊を持っていたのだが、隊形や戦略の失敗?(この戦いについては現代でも方々で議論されているとのこと)のため、フランス・インディアン連合軍に敗北した。戦いは3時間にも及んだとのこと。

 

狭い道でうまく隊形がとれなくなったところをカナダ民兵や“インディアン”が道の両側の木陰や峡谷からイギリス兵を取り囲んで狙い撃ちを続けた。この時にフランス軍正規兵が道を前進しイギリス軍に圧力を掛けていった。

 

“ブラドックは何度も兵士を鼓舞し続けたが右腕と肺を撃たれて遂に倒れた。
日没までに残ったイギリス軍と植民地民兵は自分達の造ってきた道を通って撤退した。ブラドックはワシントンや他の士官(おそらくロバート・オーム大尉かロバート・スチュアート中佐)に戦場から担ぎ出されたが、その4日後に死んだ。”

 

との内容。

 

さて、救出時に“B”が「襲われた」と言った時、私は“インディアン”を“ギャングのような何か”に上塗りをしてしまった。
「インディアンに奇襲された」
というのが正しかったのかもしれない。

 

では何故家屋の下敷きになっていたのか?
これも私の上塗りである。
最初に見たのはジープ(乗り物)が横倒しになりそれの下敷きになっていたもの。
ヘルパーにわかりやすく見せてと頼んだ後は乗り物が馬車に変わったが馬が居なかったため、私が家屋に変えてしまった。
しかし「横倒しになった馬車の下敷き」が正しかったよう。見たままで良かったのだ。

 

ブラドックの死後の話はこう書かれている。

 

“ブラドックの遺体はグレート・ミードーズの西、ネセシティ砦に埋葬された。ブラドックが埋められた場所は道の真ん中であり、遺体が発見され冒涜されたりしないように『その上を荷馬車が転がされた』。牧師も重傷を負っていたので、ワシントンが埋葬式を取り仕切った。”

 

私はこの記事を読んだ時に、救出した“B”は「エドワード・ブラドック」だったのだと確信した。
更に、ベンジャミンについてもこのように書かれていた。

 

“ベンジャミン・フランクリンはブラドック遠征隊のために馬車や物資を購入する手助けをした。”

 

とも。

 

ブラドックに妻子が居たかどうかはいくら調べても出てこないため、囚われていたものが誰なのかはわからない。
私が見た暗い建物は砦だったのかもしれない。
“イギリス軍には小間使いや料理女として50名程の女性も従っていたが、生き残ったのは4名に過ぎなかった。”と記載されているため、その中に特別な人物がいたのかもしれない。

 

また、息子のように思っていた人物もいたのかもしれない。例えばワシントン、当時23歳。
先の戦いでブラドックが倒れたあと、ワシントンは指揮を執る立場にはいなかったにも拘わらず、その後の指揮を執って撤退軍を組織し、戦場を離れることができた、とある。

 

 

唯一の疑問は
ブラドックが埋葬されたのは
ペンシルベニア州であり「ブラドック町」と名前までついている場所もある。

 

 

 

それがなぜ、こんなに離れた場所に居たのか?
ということ。

 

 

↑ペンシルベニア州

 

 

↑テキサス州

 

 

ブラドックはこの辺りまでイギリス領土にしたかったという想いがあったのだろうか…?
そこまでは私もわからないところである。

 

 

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☆ 後記 ☆

 

 

ブラドック将軍については私は知りませんでしたが、
現代でもゲームや映画に出てくるほど有名のようです。
時に悪役っぽく(ゲームだと強いボス)…

 

でもやっと暗い寂しい場所から抜けだせて良かったですね。色んな無念があったのでしょう。
これからは明るい場所でアメリカや世界がどうなっていくか見ていくのではないでしょうか。

 

ベンジャミンさんはヘルパーになっているのかもしれませんね。

 

私も何かこの辺りに縁があるのかもしれません。
それは今後、経験をたくさんして自分探索をしていきたいと思います。